同情、同感、共感・・・「わかってほしい」欲求はどういうこと?
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辛いことがあったり、上手くいかないことがあったりしたときに
誰かに話して「わかってほしい」と思うことがあります。
この「わかってほしい」という欲求は詳しくみるとどういう欲求でしょうか?
「同情」してほしいのでしょうか?
それとも・・・
同感
共感
理解してほしい
存在を認めてほしい
自分の問題をわかってほしい
あわれんでほしい(相手が自分に憐れむ・哀れむ)
可哀想に思ってほしい
なのでしょうか?
同情や同感は
相手が上から目線で見たり、上っ面の理解で済まそうとしたりすることです。
積極的に誰かに「あわれんでほしい」と思う人はいないと思いますが、
気づかないうちに「あわれんでほしい」「同情してほしい」と思っているかもしれません。
悲劇的に思われることによって一時は注目を浴びて自分の存在が認められたように感じますが、本当の感情は隠れてしまい解決にはなりません。
カウンセリング的には話を聴く人が共感することが大切なのですが、ひとことで「共感」といってもすごく難しいことです。
ですので相談する人が共感してほしいことをどう伝えるか、どう表現するかが大事になってきます。
でないと自分では気づかずに「同情してほしい」と思って話すと、相手もそれに対応して上から目線で話してきたりしてしまいます。
普通、職場などでの相談相手はカウンセラーではありませんので、
辛いなら辛いなりに伝え方が大事なのですね。
それが相手のためにもなります。